屍者の帝国ファーストインプレッション

とりあえず見てた来たのでインプレをまとめとく。帰宅後寝落ちてしまったせいで記憶が薄れかけているので分量が書けそうにない。

鑑賞後真っ先に思ったのは自分の原作理解のたりなさ、また映像化したことによる個人的なとっつきやすさ。そもそも原作のテキストをたいへん苦しみながら読んだ身としては原作以上にすんなり入ってきた印象。写実的になった分クラソートキンとアレクセイの屍者化のシーンなんかは生々しく異質で狂気を孕んだものになっていると思う。

声優陣も申し分なく違和感のない感じ。すこしワトソンとフライデーが幼いような印象も受けたが、許容範囲。はまっていたのは三木さんのアレクセイ。あとは重要人物であるハダリー、ザ・ワン、Mあたり。ハダリーはPVの時点で期待を大きくしていたがそれを裏切らないハダリーっぷりを見せてくれた花澤香菜という声優の凄さを再認識。ザ・ワンとMはなんかあそこだけ洋画吹き替えかメタルギアみたいだった。キャスティングに関してはアレ以上のものは出てこないだろうな。

ジャスト2時間の総尺に四六版460ページ近い原作を収める上では改変は仕方がないというところに反対する奴はいないと思う。そこにアニメスタッフの手腕が問われるわけだし。大きく削除されていたのはユリシーズ・グラント、そしてヴァン・ヘルシングに関する描写だった。そのせいもあり、ボンベイから日本まで続くグラントを標的とした屍者爆弾テロや浜離宮での屍者暴走などは全面カットとなっているし、最終パートにヴァン・ヘルシングは登場しない。大筋であるワトソンたちの「全人類(生者)の屍者化阻止」という目的は変わっていないとしてもそこに至るまでのディテールも改変されていた。
しかしそもそも一字一句同じでの映像化だったら本を読めばいいのである。この作品を映像化するプロセスの中での許容範囲だろうし、単一作品としてみた時筋はしっかり通っているし違和感もなかった。構成の変更も各所で行われていたがこれに関してもアニメ作品の枠の中で説得力をむしろ強めていた部分もあったので、成功しているのではあるまいか。

この作品のキーとなり、映像化での手腕が問われるものはいっぱいあると思うが個人的には屍者の動きだと思う。通常の屍者、新型、そして生者で動き方が違うという描写をしなきゃいかんのである。今回WIT STUDIOは素晴らしい仕事をしたと思う。人間の動きで「らしさ」を作るのが歩くときの首の動きと目線の概念であるという認識で通常の屍者は首から上が歩くモーションに遅れてついてくるムチ打ちのような動きをつけ、新型はそれよりもよりなめらかなうえ視線を向けて他者を認識させることで不自然さをうまく表していた。また後半の暴走のなかで屍者化した生者たちの食事シーンもその不自然さの描写を強める。

公開前のキャストコメントだったかスタッフコメントだったかでアニメオリジナルのパートが存在するという話を読んでいたのでそれにも気をつけながら鑑賞したが、Cパート(エピローグの方が適切か)のホームズとの直接的な描写、アイリーン・アドラーなどコナン・ドイルのアレへのより直接的な言及は評価が別れるだろうが自分は好きだった。あのくらいでないとわからない私のような非シャーロキアンかつ読解力の低いオタクもいるわけなので(実際原作読んだ時見落としていた)。

一つ不安があるとしたら初見者への配慮が徹底的に欠けることだろうか。某ラジオ番組のアニメ化とか徹底的に既存ファンの内輪向けを狙って作るのはマーケティングとしてあると思うが、ノイタミナブランドでアレだけ宣伝している作品であるから初見者も少なからず狙っているはずなのである。そこであの作品をいきなり見て、果たして作品内容を効果的に伝えられているかという疑問はあった。ロンドン塔でのラストシーンとかザ・ワンの目的とか意味がわからないんじゃないかな…。フランケンシュタインへの理解もある程度ないといけないし結構ハードルが高そうである。もともとそういう作品だ、と言うならそれまでだけれど。

とりあえず思い出せるのはこんなところだろうか。総評としては手放しで無いにしろアニメ化としても、単一のアニメ作品としても良い出来であったし、あの(個人的にはとんでもなく理解の難しい)原作を2時間の尺に落としこむという大仕事を見事にやってのけている。原作よりも訴えかけてくるものは強かったと個人的に思った。ただ同時に自分の原作への理解があまりにも足りていない上、それにすら気が付いていない自分の傲慢というか怠惰というかを深く反省するきっかけとなった。マングローブの倒産でかなりゴタゴタしてはいるものの、Project Itohへの期待はむしろ高まったと思っている。11月に前倒しされたハーモニーまで期待を高めて備えておきたい。

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