2017.10.11 新房昭之・シャフト関するプレゼンのあとに気になる点を聞いてみた。その結果の備忘録と個人的見解。
ファンサービスと萌系作品に対する態度についての見解
Q: プレゼン中でもファンサービスと萌えに関する言及があったが、これは欧米ではあまり受け入れられないものなのだろうか?
(メンバーのうち近い4人程度に聞いてみた)
そもそも欧米のファンはいわゆる「少年」ジャンル(ナルト・ヒロアカ・進撃等)からアニメに足を踏み入れ、それらをアニメのアーキタイプとして認識しているのではないか。そのため「萌」というコンセプトはそもそも全く異質なものとして写り、あまりアニメを多く見ていない(100話以下と言っていたが)ライト層の受けが良くない(or慣れるまでに時間がかかる)。自分たちは好き。現在天文物理系PhDやってるオタクいわく「90年代はSFものが多くてそういうのに慣れていたからアニメ視聴再開した際に新鮮で面白そうだと思った」という話も。
注:以前話題に出したときにヒーロー物の受けが良いという言及もあったので、彼らの知っているエンターテインメントに近いものが受け入れられやすいということかも。
ファンサービスに関しても同様に「慣れない表現」であり、欧米のカートゥーンにはそのような表現は存在しないためそのギャップに抵抗感を覚えるのではないか。文化によっては家族でもそもそも裸を見せない(e.g. アメリカ)、性のトピックがタブー化しているためにそのような表現がエンターテインメントにあるというのが驚きを持って受け入れられるのでは。まあそれでも作品そのものがファンサービスの塊だとちょっとね、という発言はプレゼン中にあった。フィンランドはそもそもサウナで真っ裸(下手すりゃ混浴だ)だし虹ロリも合法とのこと。(やったぜ)
見解
欧米オタクのアニメの入り方がかなり「少年」に偏っているという印象が強化された。日本だとラノベや他のメディアからの入り口もあるので一概にはいえなさそうだけれど、欧米ファンは結構その辺均質的かも。みんなナルト見てるし。
ファンサービスについてはエンターテインメントに置ける性的な表象と性文化の違いという結構厄介な問題を孕んでいそうなのでリサーチとしては面白いかもしれない。その面において日本は性的な話題を家庭内ですることが少ない、性教育も遅れていると言われるが、フィクションにそのような表現がアホほどあることを考えるとちょっと妙だなという気もする。タブー化しているのはうちも同じという気がするけれど…。
フィンランドはヨーロッパの中でも相当に異質(文化的・言語的)なので他のヨーロッパとはかなり違う立ち位置を取っているような印象がある。ただ児童ポルノに非実在青少年のdepictionを含むか、という問へのスタンスを見たときに(Wikiだけれど)NO・SV・FI・NEDは含まないという判例があるみたい。FRも割りと含まない方面、ブラジル・イタリアも含まない。USは判例による、UKはアウト、CAは超厳しい、南アもアウト、AUSもアウト、となると英語圏が世界的に異常なのでは?という気がしてくる。
Further question
「萌え」「ファンサービス」が嫌いなファンの意見はどんな感じなのか
アニメに置ける性的な表象はどう受け止められるのかな(特に百合)
アイドルアニメ、というジャンルQ:アイドルアニメ、というジャンルについてどう考えるか。
(3人に聞いた)
そもそも好きではないというのがマジョリティ。一人に至ってはアクティブに嫌いというニュアンスだった(曰くアイドルモノを見るくらいならSUPER LOVERSを見る、らしい)。理由は主に3点。音楽面、「遠い」、(僻みも込で)もっとまともな作品より売れているのが許せない。
音楽面においては(まあフィンランドというか北欧はメタルが強いという前提を抜いても)そもそもポップミュージックというジャンルが好きではない(ので抵抗感があって「遠い」)。
アイドルアニメにおけるコアである曲が良くない(いわく日本のまともな音楽を聞けばあんなの聞かないだろ、日本人は音楽の趣味がアレ、同じような曲ばかり等々)。
「遠い」に関しては先述のジャンルそのものもあるけれど、他に「ライブに行けねえ」「CDも手に入りにくい」という「canon」を形作る商品のアクセシビリティの問題に触れていた。曰く「日本にいたら違うのかもしれんが…」。精神的にも物理的にも遠いということのよう。ここに更に「言語障壁」も加わるんではないか。
僻みの部分についてはアレだけど曰く「フリップフラッパーズとか超まともで面白い作品が全く売れず、ラブライブだのアイマスだのが死ぬほど売れているが許せねえ…」らしい。
他に10人近いメンバーが居ると個人が死ぬ、シンフォギアとかなら見れるけど…。なども言われた。
見解
アイドルソングというものはそもそも消費の方向性が「歌のスキルの上手い下手」という軸に置かれなくなっている、という点が認識されていない気がする。多分松田聖子あたりからだと思うけれど、それ以上にアイドル個人、またそれに付随するスキルの向上の「物語」を楽しむという点はアイドルユニットという新しいカタチが現れている現在でも変わっていないはず。
この「曲自体ではなく、曲に付随するストーリー、アイドルその人自身の物語の共有」を前提として「歌を歌うという行為(ライブでもそうだしアニメでのライブシーンもそう)」の際にそれらを想起させることによって感動を呼び起こす、というたぐいのエンターテインメントの形式(アイマス界隈では思い出ボムというらしいけれど)が欧米のオタクにとっては上記の「萌」「ファンサービス」と同じく異質なものとして写っている印象がある。
思い出ボムのCultivationとdetonationをするためにはある程度の慣れがいるだろうし、それ以上にその現場(最終的にはライブ)を経験する、というのが大事なのかも。またそれに至るまでに必要なコンテクスト共有の量が結構多く、言語障壁と会いに行けない物理的な障壁もあって「遠い」と感じられている印象。アジア圏にはアイマスファンが多そう(TLからのsubjectiveな観測結果+5thSSAのLVが香港・韓国・台湾であったという事実)という部分もここに起因しているかも。
Further question
そうするとAXでやったアイマスライブは相当珍しいことだったのでは?受けはどうだったのか?
この問題を乗り越えてアイマスを布教するにはどうしたらいいのか