Desuconとサバイバルフィンランド語

1月26日から1月28日までLahtiという街で行われたアニメコンベンション、Desucon Frostbiteに参加していました。ヘルシンキ大学のアニメクラブYamaの友人たちと参加して、3日間Lahtiに泊まりで行きました。金が無いので宿泊はイベントが確保していたLahtiの総合学校の教室、移動は徒歩とクソ安い高速バス。

当然プログラムはフィンランド語しかなく、フィンランド語学習歴6ヶ月の自分ではまともに話を聞くというふうには行かず、フィンランド人の友人たちに通訳してもらうわけにも行かないわけです。日本からのゲストのトークセッションや(今回は岡村天斎氏とDJ GENKI氏でした)麻雀コーナー、アニメ上映、物販など非フィンランド語話者でも楽しめるプログラムは多かったのですが、Desuconのプログラムの殆どはアニメ等に関するレクチャー・ワークショップで構成されているのです。

じゃあメインだし聞いてみたい、と思いGoogle翻訳の力を借りつつプログラムの説明を読み、2つに絞ってレクチャーに参加することにしたのです。アホじゃなかろうか。

ひとつはNippon Superior – nationalismi Animessa(Nippon Superior アニメの中のナショナリズム)と題されたPetteri “Tsubasa” Uusitalo氏によるレクチャー。

もう一つはAnime propagandana, eli mitä anime haluaa meidän ajattelevan(アニメプロパガンダ アニメが私たちに考えさせようとしている事)というプロパガンダ研究的視点から見るアニメ、というOtso Rajala氏によるレクチャー。(タイトル訳はFI-ENがGoogle翻訳神、EN-JPが私によります)

スライドに書かれている事をGoogle翻訳に叩き込んだり隣のYamaの友人に英語で聞いたり、少ない語彙と例に使われる作品の内容を組み合わせて内容を想像する作業なわけです。脳のリソースすべてを内容把握につぎ込んでトータル2時間以上、頭が爆発しかけました。

スマホでレクチャー中に取ったノートをPDFとして出力してみました。1次資料として残しておきます。3言語混ざっているカオスが生まれてしまった…。

desucon frostbite lecture

ノートだけ公開しても良かったんですが、普段こういうのは実況ツイートをして思考プロセスを保存しておくタイプのツイ廃なので、それができなかった代わりとして(実況やる脳内リソースがなかった)もう少し文として残しておこうと思ってまとめることにしました。ただ上記の通りフィンランド語がわからない奴が書いているため、内容把握は多めに見積もって全体的に話されたことの20%というところです。間違い・不備・勘違いがあるかもしれないけれどそれはもうしょうがない。

Nippon Superior – nationalismi Animessa
(Nippon Superior アニメの中のナショナリズム)

このレクチャーの主目的は「欧米に住むファンがアニメを見たときにナショナリズム的に見える表象を考えるべきなのか」という問への答えを提供することでした。

前段はそのような表象を含む作品を幾つか取り上げ、それらがどのように「ナショナリズム」的要素に見えるのか、について語っていました。初っ端から『正解するカド』の「共感力」の下りをぶつけてきてビビりましたが、次から次へと例示される作品を見るたびに「なるほどナショナリズムに見えるのもわからんでもない…」と納得しました。

ゲートの作品設定やHOTDの毒島夫婦の描写なんかは理解できる範疇だったし、たしかに国外の観客にはナショナリズム的な要素に見えるのが新鮮でありつつ納得しうるものだったわけです。

びびったのは「日本食のプロモーションがナショナリズム的な要素だ」という部分ですね。ゴーマニズム宣言での「食料自給率と『捕鯨やマグロ漁獲制限で日本の力を損なおうとする外国』」みたいなあたりはまあ理解できる範囲として、次に出てきたのがあの『ラブ米』だったので思考がフリーズしました。言われてみれば「コメがパンに勝つ」ってのはまあそうよねえ…(なんか浮世絵に似たようなのがあった気がする)と気がつく新しい体験。

同じく「田舎ノスタルジア」の文脈でのんのんびより、サクラクエスト、くまみこ、ラブライブなんかが出てきたのが印象的でした。原風景たる日本の田舎を描写する事がナショナリズムってのは一瞬戸惑いましたが、欧米のナショナリズムについては少なくともそのような原風景の設定から始まって(フィンランド史でもカレリア地方という「原風景」とカレワラの影響は大きいわけです)民族を束ねる文脈の生成をするんでなるほどなあと。

と長々と例を上げてきた上で、Tsubasa氏は以下のように説明するわけです。

「作品の見た目がそれを書いている・見ている人々の価値観とは直結していない」

「軍事装備の描写が軍国主義を意味するものではない」

このあたりで集中力が切れて内容把握ができているか怪しくなってくるのですが、最終的な結論としてもこの辺りで締めくくられていました。フィンランド人のオタク向けのレクチャーなので、アニメを考える際に文脈を考える必要がある、という結論部には納得できるものがあるんじゃないかなと。

実際ナショナリズムが高まっている・支持を集めているという事も現象としてはあるんだろうなと私の肌感覚では思っているのですが、Tsubasa氏がそれを言及していたかどうかがわからないのが残念。フィンランド語聞けたらなあ…。

Anime propagandana, eli mitä anime haluaa meidän ajattelevan
(アニメプロパガンダ アニメが私たちに考えさせようとしている事)

もう一つも似たようで少し違うレクチャーでした。メインとしては「アニメをプロパガンダ研究的視点から考えた場合、そこにはどのようなメッセージが含まれているのか」というのがメインでありました。上記のTsubasa氏のレクチャーの直後だったため内容把握が虫食い過ぎてレポートが書きにくい…。多分理解できてない…。内容に関してはレクチャーやったOtsoさんに聞いたほうが多分早い…。

冒頭で含まれるメッセージの種類として

 

  • 日本文化
  • 日本史
  • 日本社会とその価値観

が挙げられていました。

当然日本アニメの初期の初期まで戻れば戦中のプロパガンダアニメがあるわけで、1945年の「海の神兵」が挙げられていましたが、戦後の様々な作品が主な批評対象でした。

面白かったのは80年代の日本の「高度成長のピークに達する時期」のアニメが「日本は技術先進国である」というメッセージを含んでいる、というあたりかな。バブルガムクライシスやエンゼルコップなんかが例示だったのがよくわからないけれど…。

90年代の説明も印象的でした。まず「技術への態度が変わった」と前置きして、当時のアニメに含まれるNarrativeが「日本は問題を抱えているので修復しないといけない。」であったと。その解決方法が「アニメで日本にとってのコモンウェルスを作る」という文化外交的クールジャパン的な説明。

一方でアニメには日本の若者に対する「Anomie(こちらの論文が引用されていた)」のメッセージも含んでいる、みたいな事を言っていた(気がする)。例えば学校内での「掟」というか社会的な規範みたいなものの再生産や「仲間との結束の重要性」「頑張れば何者かになれる」というメッセージなんかが例に挙げられていた(はず)。

他にも色々あったのですが、まとまった文章が書けるほど各トピックのつながりが理解ができていないのであんまり書けない…。でも最後に触れられた「アニメがGeneration Zの価値観に影響を与えている(のではないか)」という主張は面白いものがあったかな。結構冒険的なしめだったように思います。

岡村天斎さんとDJ GENKIさんのトークセッションも面白かったですね。(何よりフィンランド語がわからなくても日本語が聞こえる、最高)。あまりパーティー的なものを好まなかった(というか食わず嫌い)のですがアフターパーティー行ってみてアニソンの聞こえるクラブ、という環境はそれなりに楽しかったです。

言葉がわからないなりに非常に充実した3日間であったように思います。ここにいるうちにレクチャーをやってみたいなあと思ったり。ネタが同人誌、二次創作、アイドルアニメしか思いつかないけれど…。あと新海誠作品だけれどこれは先駆者がいそうだしなあ…。

夏のDesuconでは10週年らしくゲストが渡辺信一郎さんと堀江由衣さん(!!!!)らしいのでぜひ行かないとねえ…。

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