The Changes of Historiographical Debate Regarding Finnish-Soviet Wars Between 1945 and Today

卒論を上げるのを忘れていたので上げてみる。黒歴史確定ではあるんだけども。ものは英語なので和文抄訳だけ記事にコピー。読みたい暇人はダウンロードすればいいんじゃないかな。

Senior Thesis (public ver)


和文題:「1945 年から今日に至るまでのフィンランドの対ソ戦争における論争の歴史的変化」

和文抄訳

国際関係における「大国」と「小国」の関係は構造的に不可避の構図であり、その重要性はウィーン体制以後、現在に至るまで変わることなく存在している。本研究では「大国」と「小国」の関係性が顕著となった戦争に関する歴史認識がどのようにその国の現代社会に影響を与えているか、という視点からその関係性の分析を図る。歴史認識という問題は国自身の成り立ちに深く関わる問題であり、また同時にその国の国際関係における問題となりうるため、根深く長い問題史が存在する。本研究では第二次世界大戦の中でも顕著に「大国」と「小国」の衝突が発生したソビエト連邦とフィンランド共和国の関係を取り上げ、「小国」側の歴史認識の変遷、特に1939 年から1940 年の冬戦争の「防衛戦争論」と1941 年から1944 年の継続戦争の「独自戦争論」を対象とし、それを取り巻く歴史家による解釈論争を入手可能な英語と日本語による文献を通して終戦時から現代に至るまで時系列的に俯瞰し、その流れを明らかにした上で論争を現代フィンランド社会における問題認識の文脈とともに分析することを目標とする。

冬戦争の「防衛戦争論」とは冬戦争を1939 年のソビエト連邦による侵攻に対する防衛戦争としてフィンランド側に非はないとする解釈であり、開戦当時からのフィンランド政府の公式見解である。この解釈は戦後1960 年代にかけてフィンランド学術界の一般的な解釈であり、ヴオリネン(John Wuorinen)などによる研究から読み取ることができる。1960 年代に入ってそれらの解釈は1954 年のアンダーソン(Albin T. Anderson)による研究を皮切りに、ルンディン(C. Leonard Lundin)、クロスビー(Hans Peter Krosby)、アプトン(Anthony F. Upton)などによる研究で批判的に取り上げられ、特に開戦前のソビエト・フィンランドの交渉におけるフィンランドの強硬な態度や当時の外相エルッコ(Juho Eljas Erkko)を始めとする政府内閣僚の楽観姿勢に立脚してその解釈の限界が示された。国外からの批判的研究はヴェヒヴィライネン(Olli Vehviläinen)やメイナンデル(Henrik Meinander)などの以後のフィンランド人歴史家による研究、並びに百瀬やルンデ(Henrik O. Lunde)などの国外での研究においても定説として浸透している流れが見られた。継続戦争の「独自戦争論」とはフィンランドが1941 年6 月から戦った第2次対ソ戦争をソビエトからの侵攻に対する防衛戦争として解釈し、ナチス・ドイツが同時期に開始したバルバロッサ作戦とは独立したものであるという捉え方のことである。また同時にこの解釈ではフィンランドがより大きな欧州戦争の中で対独接近以外の選択肢を失い、ある種成り行き的にドイツとの協力を余儀なくされた「流木説(Driftwood theory またはフィンランド語でAjopuuteoria)」による説明がなされている。またこの解釈の特徴としてフィンランドはドイツの対ソ戦争計画を詳しく知らされておらず、1941 年6 月22 日のバルバロッサ作戦開始に伴うソ連の侵攻によって開戦せざるを得なかった状況を強調している。これも同じく戦時中から1960 年代にかけて政府・歴史家双方でそのような解釈が継続して存在しており、それらはヴオリネンの研究や当時の一次資料から読み取ることができる。この解釈に対する批判は概ね冬戦争の「防衛戦争論」に対するそれと類似の経緯を辿り、先述のルンディン、アプトン、クロスビーなどからの批判を経験した。彼らの批判はフィンランドの対独接近の流れの分析を通してマンネルヘイムを筆頭としたインナーキャビネット(Inner circle)が武器売買やニッケル貿易協定などを通して意識的に対独接近を決定し、開戦前にドイツとの詳細な軍事協力を計画し、ドイツの計画を知った上で対ソ戦争に突入していったことを明らかにした。ただし分析の対象とした研究の中では対独接近の経緯の発端に関する解釈に差が見られた。アプトンの研究ではインナーキャビネットの議会や他の閣僚との協議を経ない独自の決断によるものとして独裁的な意思決定プロセスを批判しているが、一方クロスビーはアプトンの指摘する意思決定の問題を認識した上でフィンランドが置かれた状況に焦点を当て、1940 年春の北欧諸国による同盟計画の頓挫やドイツのノルウェー侵攻とフランス侵攻以後の英仏の影響力の弱体化を踏まえた上でフィンランドは対独接近以外に道が無く、そのような八方塞がりの状況を引き起こしたソ連の強硬な外交政策を批判している。

これ以後に出版された研究を比較していくと1970 年から1996 年の百瀬による幾つかの研究や2011 年のルンデによる研究、また2012 年のヨナス(Michael Jonas)による研究ではクロスビーの路線を継承した「独自戦争論」の否定という路線が読み取れるが、一方で2002 年のヴェヒヴィライネンの研究には未だ「独自戦争論」の要素であるドイツの作戦計画の事前知識の有無に関してヴオリネンに類似した路線で評価を行っていることも読み取れた。フィンランド人研究者による研究においては2012 年のキヴィマキ(Ville Kivimäki)やメイナンデルによる直近の研究でようやく「独自戦争論」解釈の否定が見られる。

一方でこれらの論争の結果が一般社会における歴史認識にフィードバックされていない問題を2010 年代の研究は指摘している。先述のメイナンデルが発表した研究やキッヌネン(Tiina Kinnunen)とヨキシピラ(Markku Jokisipilä)による研究によればフィンランドでは学術界と一般社会の間での歴史認識の断絶が存在し、一般社会におけるそれは戦後から現在に至るまで戦時中の「防衛戦争論」「独自戦争論」を継承している。それらは映画や小説を通した大衆文化における戦争の表象を通して現在のフィンランド社会においても主流となっており、冷戦崩壊以後、特に「新愛国主義的(Neo-patriotic)」な解釈の存在感が増していることを指摘している。「新愛国主義的(Neo-patriotic)」解釈では1960 年代までの路線と類似したフィンランドの「英雄的な戦い」を特に強調し、対独協力などのトピックは語られないか、存在しないというスタンスでの解釈を行っている。これに近い路線はフィンランド外務省の広報ウェブサイトの記事からも読み取ることができ、フィンランド社会における歴史認識問題として未だ大きな意味を持つことが明らかになった。

彼らの研究ではナショナリズム的な解釈が批判的な検討がなされぬまま社会の主流となっていることに警鐘を鳴らし、学術界からの一般社会へのフィードバックの必要性を訴えている。メイナンデルは歴史研究という分野そのものが脱構築主義に立脚した分野の細分化が歴史家の課題となっており、大きな歴史の流れを再検討することの障害となっている事を指摘した。キッヌネンとヨキシピラの両者は統合されたヨーロッパの一員となったフィンランド社会ではより広いヨーロッパ史の中の第二次大戦のコンテクストの中でフィンランドの戦争を語る必要性があるとした。

フィンランド社会における冬戦争並びに継続戦争の解釈を追っていく中でその論争の展開以上にその結果の一般社会への浸透という問題が浮き彫りになった。またこの問題と直結するナショナリズムの問題は現在ヨーロッパという地域が難民危機に直面し、各国のナショナリズムを原動力としたEU 懐疑主義や独立運動などが力を増している中で注目する必要のあるファクターである。EU の対露関係の悪化もこの動きを加速させる恐れがある中、ロシアと国境を接するフィンランドにおける歴史認識問題の経緯の把握と現代フィンランド社会の状況を把握することでその分析へのコンテクストを提供する助けとなると思われる。

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