「なんでフィンランド史なのよ?」という話ー過去と向き合う

(承前)

さて、なんでフィンランド史、それも冬戦争と継続戦争なのか。それはもちろん面白いからである。というだけでは何も言っていないのと変わりがないのでもう少し言葉を尽くした説明をしようかな、というのがこの記事である。

まずそもそもこの記事を書いている理由は、課題で修論の研究計画をそろそろ作らねばならんというところで、そこには多分書く余地がない「私がなぜこんなトピックをやりたいのか」という個人レベルでのRationaleを残しておきたいからである(研究計画そのものをやりたくないから、というのもある)。前の記事で過去を長ったらしく説明したのは「なぜ歴史が好きなのか」というところを明らかにしておきたかったから。それを踏まえて「なぜフィンランド史なんていうトピックで修士をやろうという突飛なことをしたいのか」に入るのがこちらの記事になる。日本にいたときも、こっちに来てからも「なんでそんなことやろうと思ったの?」と聞かれることが多いというのもあるが。特にこっちに来てからはフィンランド人に、1)(彼らの中ではマイナーだと思っている)フィンランドとかいう国の歴史を、2)よくわからない日本人が、3)地球の反対側からわざわざこちらに修士のためだけに渡航してきた、というあたりからとても驚かれることが多い。

フィンランドのWWIIというトピックそのものへの出会いはだよもん氏の作品とIB時代の「失敗した研究」にあったのは先述の通りだけれど、面白さについては「ソ連に勝ったムーミンぐらいしか有名じゃない小国」以外にもいくつかある。忘れられることが多いけどフィンランドは枢軸側に分類される国である。41年から44年までの継続戦争においてナチスドイツとの協力関係を結び、バルバロッサ作戦と時を同じくして二度目の対ソ戦争をおっぱじめたが、43年ごろから終戦工作を始めて44年には単独講和してしまう。その直後にモスクワ条約に従って国内ドイツ軍を追い出すラップランド戦争をするハメになる。その「ちょっと変わった参戦の経緯」もあって英語のWWIIの文献でもフィンランドは枢軸への参加国である日独伊とブルガリア・ルーマニアあたりとは違い、co-belligerent stateというカテゴリで言及される。そのちょっと変わった位置づけから見るWWIIはバリバリの枢軸国でWWII史のスポットライトを浴びる日本やドイツとは違う見え方になる。そこには「主役」である日本やドイツ、連合国全般の視点からは見えてこない小国が生き残るために選んだ選択のドラマ、生き残るための大きな労力を注いだバランス感覚と位置取りの物語がある。

概説レベルで面白いのはこのあたりで、私が足を踏み入れる原因であったけれど、ハマったのは卒論で詳しく調べてみてからだった。上げてあるとおり卒論トピックは歴史学者の書いた文献を1945年から最新のものまで手に入るものを集め、特に核となる「冬戦争の防衛戦争論」「継続戦争におけるフィンランドの独自戦争論」という2つの学説に対する姿勢を観測点として文献の意見がどのように変わっていったのかを見る、というものである。英語で言うならHistory of Historiographyに分類されるはず。文献のまとめであることは確かながら、戦後から今までのフィンランド史研究の「風景」みたいなものを把握できる文献は日本語圏には存在しなかったのである程度独自性があるのかな、とは思う。もっとも英語で書いてしまったのでそこは失敗だったかもしれない。文献が英語なので和訳がかったるかった。抄訳はあるので許してほしい。

自画自賛はともかくとしてこの中で面白かったのは「概ね60~70年代にいずれの論にも疑問を投げかける新学説があったこと」、「継続戦争の独自戦争論はナチスドイツとの協力、フィンランドのカレリア奪還の思惑などにつながるためにセンシティブであり、長らく独自戦争論が生き残ったこと」「一方でフィンランド化と言われた50~70年代冷戦期にも反ソ連的な戦中の説明が概ね生き残っていること」「学術界で否定された言説が未だに一般レベルでは残っており、最近は新たなナショナリスト的な解釈が見受けられること」あたりだった。

卒論で調べていくうちに見えてきたのは彼らが記憶する歴史の様子が日本含めた枢軸側の主役とは違う、ということだった。彼らの中では3つの戦争は「加害者としての記憶」としては語られない(少なくとも最近までは語られなかった)。フィンランド国民の大半にとっては「ソ連とドイツという独裁体制超大国に一人で立ち向かった孤高の小国で、民主主義国家であり続けた」という、という認識が主流で、それはフィンランドという国の誇りの歴史として語られる。それはソ連とドイツに蹂躙された東欧、バルト三国や日本の支配のもとで苦しんだ中国、朝鮮半島やフィリピンの「蹂躙された被害者として、また敵に対する抵抗者として」を核に置くタイプの認識に近い。しかし戦争で勝利した、という認識も持ち、さらに「加害者側という共通認識のある」枢軸側のドイツと協力して戦った歴史を持っているのでそことの折り合いをどうつけるのか、という点でフィンランドの記憶は面白い。

もっと言ってしまえば冷戦中の歴史認識に関してはソ連との外交関係のもと芸術的なほど慎重な(フィンランド化と言われることもあるけれど)パーシキヴィ=ケッコネン路線を取った社会情勢が大きな影響を及ぼす。外交的配慮によって1944年のモスクワ条約で解散させられた”ファシスト的団体”であるLotta Svärd(ロッタスヴァルド、補給や対空警戒なんかを担当した女性の軍支援部隊)やSuojelskunta(内戦の白衛軍を起源に持つ民兵組織)に関する歴史、武装SSのフィンランド人大隊に関する歴史は語られることが無くなった。また「公式な歴史認識」にフィットしない継続戦争でのドイツとの協力関係、ホロコーストとの関係、カレリア地方に侵攻した際のロシア系住民への弾圧などの歴史もまた語られなかった。冷戦による歴史認識への大きな影響が見られるのは日本も同じ(被害者であるアジアとの断絶、東京裁判史観etc)だけれどその質が全く異なるというのは面白い。「枢軸側参戦国による東欧的歴史認識パターン」と「冷戦で語られなかった歴史が自身の加害者性(東欧的)と自身のナショナリズム的な過去(方向的には日本の”自虐史観”的?)を含むこと」「一般と公式で2つある歴史認識」あたりがフィンランド史の歴史認識問題が面白い点だと思う。

私の研究は歴史研究の中でも割と最近の分野である「記憶」研究に分類される。この分野は歴史的事実(何があったのか?)そのものよりも、それはどう記憶されているのか・どう使われていた/いるのか、をメインとしている。歴史でこそあるものの、直接の研究対象は現代社会であり、そこから生まれる数多くの歴史を記述したメディアが対象になる。例えば学校教科書でどのように説明されるのか?学術書では?映画では?ジャーナリズムでは?政党の出版物では?といった具合である。それは媒体が書かれた時代の社会を反映し、政治的意図を反映し、また社会全体のcollectiveな記憶を生成する。それを解き明かすことは歴史学が社会に還元する知がどのような影響を及ぼすかということなので、歴史学者自身もその生成に関わるために自己批判的研究でもある。歴史学説は時代や政治的意図でいくらでも違う説明が作れる。いくらでも作れるからこそそれを批判的に見ることで今の社会に存在する意図と事実を曲げる力を解き明かすことにつながるし、それは間違った「pseudo-history」への早期警戒にもなる。

自己批判的な分野であることはつまり「内」以上に「外」の視点が「内」から来る研究者の認識フレームワークを超越するために必要である。というところでナショナルヒストリーの研究にナショナルな枠組みの外からくるよそ者の視点は多分役に立つと思っていて、そのために修論でやろうとしているのはフィンランド史の歴史認識を日本と比較する記憶の比較研究になる。

ここでもう一つのリベンジと反省がある。この研究は私にとって個人的なフィンランド史の興味と同時に私は今一度私がこの分野に入るきっかけを作り、疑問を持ち、嫌悪することになった「ネトウヨ的言説」というものに向き合うリベンジになる。2002年ごろに始まった「ネトウヨ」の流れが力を持ち、反韓反中が書店を埋め尽くし、新大久保で排外主義のデモが目に見える形で発生し、アングラ的な思想だったものが「現実化」しているのを体験してしまった。そうかと思えばEUでも排外主義が目に見える形で現実化している。今の社会でのナショナリズム研究の側面はある種必然であるけれど、このトピックはとても個人的な理由を含んでいる。自分がかつてなりかけたものが怪物になっているのを見て、ならないために知り尽くす、というような感じである。フィンランド史のナショナリズム的認識を自分が染まりようがない「文脈を共有しない他者のナショナリズム」として取扱い知ることで、日本史におけるナショナリズム的認識という自分がかつて染まっていた、今も染まる可能性のあるナショナリズムを取り扱う際のReference pointとして使うという思惑がある。それは相互に自己批判的な視点を提供するので相互によいことがあるはずなのです。

更に言ってしまえば日本の歴史認識は日本語はもちろん英語でも国際的に戦後ずっと研究されているトピックではあるけれど。フィンランド史は全体的に研究者が少ないというのもあり英語によるアウトプットもかなり少ない。まして比較研究となると欧州・北欧レベルがいいところで、そういう意味でこれは日本を取り扱った歴史認識研究の豊富な研究成果を利用してフィンランド史に応用する、という研究でもある。

まあいろいろなことを書いたけれどフィンランドの枢軸国の中での特異な位置づけと冷戦のこれまた他ではあまり見られない環境から発生する歴史認識とその変遷は相当面白いと思っていて、どうして日本でやってる人が少ないのかな、と疑問に思っている。ガルパンでも有名になったしフィンランドの二次大戦史はもっとポピュラーにならないだろうか。他の国からは見えてこない二次大戦が見えてくるので絶対に面白い。

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