TL;DR
新世代のアイマスIPとしてシャイニーカラーズはソシャゲ発展の一つのマイルストーンであり、機器的制約がコンテンツを定義するという流れ、また関係性記述的になる原作という2つの証明である。
注:一部の話は前編であるところの二次創作とソシャゲの話を読まないと分かりづらいかと思いますが、アイマス界隈の人であれば多分読まなくても話が通じると思います。最低限「関係性記述的=百合・BL、画面サイズがコンテンツを定義する説、二次創作的になる原作」という3つを頭の片隅に入れていただければ。端的に言えば前編が理論、後編が応用という感じです。
「新しい」アイドルマスター
さて前段でやった話の中で「画面サイズとコンテンツの定義」の下りがありますが、これに気がついたとき、アイドルマスターで起きた最近の変化に思い当たりました。そう、シャイニーカラーズの話です。(ちょっとだけプレイして本腰入れていないので間違った記述に関してはお知らせください)
ミリオン・シンデレラ・SideMのガラケー時代にガシャで「スキを金にする方法」をマスターし、それらのスマホ版でスマホゲーをどうやるかを学んだアイドルマスターチーム。彼らが作った既存の作品をベースにしない新しいIPであるアイドルマスターシャイニーカラーズには、様々な新基軸がありました。既存IPの敷居が(新陳代謝の早いこの手のゲームにおける老舗コンテンツでもあり)急速に高くなっていく中、新規ユーザー獲得のための新しいIPを作るのはまあ当然であり、そのための差別化は当然取っていくというのはビジネスとして当然ではあります。据え置き機作品で維持されてきたアーケード版からの「トップアイドルを目指す」という育成・周回要素システムへの先祖返りという側面もありました。
シャニマスのカードの話
しかしこの作品が過去作品と違うものの一つが、ガシャシステムです。これも差別化の一つである、という話はあると思います。しかしこれが自分には今までの「教訓」を反映しているのではないだろうかと思い始めました。百合オタクとしては、ファンの消費行動に「相関図消費」的な側面が強くなっていったという流れを汲み取っているのではないか、という発想に行き着いたわけです。
シャニではガシャがミリオン・SideM・シンデレラと大きく違う形態を取っています。比較的少ない(デレやミリが異常という話はありますが)人数もそうですがガシャで手に入るカードが、ストーリーモードの主役であるプロデュースアイドルと、それをサポートするサポートアイドルの2つに分かれているわけです。
画像だけでいいのでこの記事を見てほしいんですが、この筆者が書くようにシャニマスはカードの絵の美麗さ、キャラのリアリズム、また関係性の描き方が界隈では話題になっていることが多いかと思います。特にサポートアイドルのカードは原則的にユニット内、もしくはユニットメンバーとの関係性を描いているものが多いという特徴があります。しかも描き方の点で「キャラクター中心」というある種の不文律を軽やかに逸脱していきます。一枚見ていただければなんの話かわかると思います。

このカード、名義上は最右の凜世ちゃんのカードになっていますが、典型的なゲームであれば確実に中心なり三分割法の交点にキャラを置いて「目立つ」ことを主眼に構図を作りそうなものですがシャニマスのサポートアイドルカードは(部分的にはプロデュースアイドルの方も)それをしないわけです。さらに言えばこれらのサポートカードのコミュはストーリーモード中にエピソードとして挿入されます。周回育成要素の中に挿入される関係性を描くコミュ、ということです。
何がそんなに「違う」のか
さてここでアイマスIPのモバイル機器でのゲームの話を少しします。(直に経験していない面もあるんでちょっとふわっとしています)
2005年スタートのアーケードが2010年に終わり、後継としてゲーム機向け作品系譜と、次のプラットフォームとしてモバイル向けが展開されていたわけです。ときはガラケーからスマホに移行し始めた過渡期。2011年にはアニメが公開され、ガラケー向けに展開されていたアイモバがiPhoneアプリ化し、ガラケー向けに新IPとしてシンデレラガールズが展開しています。少し遅れて2013年にはミリオンライブもスタートします。スマホ版もそれぞれ2011年と2014年にリリースされ、以降この2作品が主にモバイルの中心となっていきました。
つまり、モバイル向けの2つのIPは両方共システム上・コンテンツ上の設計がガラケーをベースにしている、ということです。ガラケーも成熟した2010年ごろの作品ですからボイスも画像面でもエフェクトでもかなりの物ではあるのですが、前提とした設計がガラケーである、ということは一つの制約としてコンテンツの形態を定義しました。下の画像を見てください。

数多ある中のモバマスのカードの一つです。何が言いたいかというとVGAを拡張してせいぜい800×480ピクセルくらいの画面空間に表示するのに最適化されているということです。これは初期のスマートフォンも同様ではあり、ある意味当然の帰結です。
ただしこの画面空間では基本的にキャラの立ち絵1人分しか空間がありません。またモバマスの設計としてアーケード版・据え置き版から継承したものが多くあります。一つは移行のために必要だった765全員のカード群、もう一つは「Pドル」的なキャラクター中心の設計です。そのためにこのフォーマットは二重に当然なわけです。キャラ同士の関係性については不定期で取り上げられるイベントやLIVEバトル、ホームで発生する会話などしかありません。初期に始まったシンデレラガールズ劇場の連載も限定的ながらその機能を果たしてきましたが、カードそのものは依然としてキャラクター1人にスポットを当てています。
スマートフォンに完全に移行し、性能が大幅に向上した2015年にはこれが大幅に拡張されます。
デレステ・ミリシタでは3Dでの音楽ゲームという新基軸を取り入れ、他者IPが群像割拠するスマホゲー市場に切り込みました。その最初期のカードです。16:9の高画質の画面ではキャラクター、背景ともに詰め込める情報が段違いです。しかし一方で「キャラをど真ん中に」「Nカードはモバマスの継承」など、連続性が見られることも確かかと思います。
アイマスにおける「関係性記述化」のプロセス
このようにマシンスペックと設計は当然ながら密接に関わっており、その定義がコンテンツに影響を及ぼす、という話はわかっていただけたかと思います。面白いのは前編で論じた「ソシャゲにおいて関係性記述的になる原作」というプロセスの過渡期をデレステとミリシタは経験した点です。

2019年に実装されたSSRの画像です。おそらくデレステ史上初、曲もコミュも実装されていないユニットの5人が同時に同じカードに登場している、というマイルストーンとなるカードです。なぜ重要かというと、(ブルナポというユニットの物語という面は当然ありつつ)デレステに置いてスマホに最適化されているカードが出てきたから、となります。逆に言えばキャラクターを複数人登場させる余地がスマホで展開されるソシャゲーにはある、ということです。
前述の通り、コミュを書く上で関係性に主眼を置いてそれを生成するというのは一番手っ取り早いわけです。更にデレマスというコンテンツには180人を超えるアイドルがいて、モバマス時代に生成された数多のユニットという資産がすでにあります。これを活用しつつ新しい組み合わせの模索を取り入れればほぼ永久に物語を生成することができます。ミステリアスアイズやダークイルミネイトなどは資産の活用、アインフェリアやMasque:Radeなどの新規実装曲のユニットは新しい組み合わせの模索の例でしょう。
その関係性記述的な要素が増え、ファンは相関図消費的な活動を続けていく、というフィードバックループが結果的に二次創作の拡大と供給されるカードのフォーマットが変わっていくことに繋がります。一方でキャラクターを愛するファンも多く、それらのファンに対するコンテンツも両立する必要があります。このバランスがときに崩壊してややこしくなる、というのも最近のデレマスで発生しているように思います(デレステのみのファンとモバマス・デレステの両者をプレイしているファンの間の軋轢の少なくない数がこの違いに起因しているような気がしています)。
シャニマスが示した方向と波及効果
シャニマスは言ってしまえばフィードバックループで得られた教訓と環境をシステム面から取り入れ、新しいIPを作り出したわけです。先祖返りとしてアケマス・据え置きからの要素を復活させつつ、教訓を取り入れているというのが如実に現れている作品だと思います。
この教訓はミリシタ・デレステにおいてもフィードバックされています。前述のカードフォーマットもそうですが、その最たるものは物議を醸した「新アイドル」たちです。特にデレマスの追加アイドルは大変に面白いことになっています。
追加された辻野あかり・砂塚あきら・夢見りあむ・黒埼ちとせ・白雪千夜・久川颯・久川凪の7名は大きく2つに分けられます。辻野あかり・砂塚あきら・夢見りあむの3名は初期の実装がモバマス版であり、声は実装されていませんでした。しかし他の180名以上のアイドルが辿ったのと同じく何か強く訴求力のある属性を武器に登場しています。例えばなんJ語であったり、ゲーム実況者であったり、Twitter上の「病み垢」の中の人であったりとずいぶんと「今どき」なキャラの属性がついています。彼女ら三人は新アイドルの中で「モバマスらしい」出自とスタートを切りました。
一方で黒埼ちとせ・白雪千夜・久川颯・久川凪の4人、というより2ペアはデレステでスタートを切り、コミュ・声・曲を手に実装されました。当然今までの常識ではありえないことであり、こういった展開に参加できるのは人気に裏打ちされた「特権」として従来売ってきたわけです。しかしデレステに参加する以上、声・曲・コミュは少なくとも前提条件である、というのは火を見るより明らかであり、他社のスマホゲーIPで「声のつかないキャラクター」という存在は異質なものです。言ってしまえばその3要素を「特権化」したモバマスからの残滓が表面化したと言えます。
むしろこの2ペアで注目すべきは運営側の「デレステ」ファン層に対する認識であろうと思います。つまりデレステに置いてはキャラ同士の関係性が武器になるという認識です。一方は主従で幼馴染、他方は姉妹と、両者とも関係性がすでに強固に構築されていて、それがどのように変化していくのかを描くことが武器になると認識されているわけです。ここに運営側の「関係性記述的な物語の訴求性の認識」を読み取ることができます。最近実装された営業コミュの機能や、各カードでの他アイドルへの言及の量などもデレステがそのような場所であり、運営もそれを認識しているのだろう、という傍証になるでしょう。
関係性記述的IPの発生と適応
アイマスの変遷を見てきましたがシャニマスは位置づけ的に「シンデレラ・ミリオン・765の伝統を考えずに新しくスタートを切る際に関係性記述の要素をシステム面に取り入れた」という作品だと言えます。同時に途絶えてしまった系譜の復活でもあり、面白いコンテンツです。しかも「公式が百合をやっている」という案件が異常に多く、ちょっと密度が高すぎるぐらいの感じがあります。またグラフィック面での進歩や「お約束からの逸脱」によって新しいフェーズを切り開いているように思えますし、取り入れられる要素は少なくともデレにフィードバックされています。
またファン活動として創作的なことをするのにも大変に適しているミリオン・シンデレラの更にその上を行くことでしょう。残念ながら同人誌漁りが気軽にできない環境にいるので経験から語ることはできませんが、そうであろうと確信を持って言えます。今後も百合を続けるためのプラットフォームであってほしいと願っています。