以下は図書屋he-suke氏作の『蓮李乃朶』をシベリア鉄道車内で読んで出力されたレビューのようななにかです。ネタバレまみれなのでまず読んでほしい。
手書きで4800字近く出力してるのに書き起こしてから気が付きました。手首が死ぬわけである。
今までで一番スリリングな読書体験だったかも知れない。なぜかというとロシアでは未成年者同士の同性愛を助長するようなメディアを広めると牢屋行きだから。読むのはウラジオストクまでのフライトで2回目、列車内でレビュー書くために読んだので3回目になる。とにかく好きな作品。
デレマス百合で大学生パロ、これはいい。かれりーな、これも良い。問題なのはこれが「なおかれ、みくりーなを前提にしたかれりーな百合R18(15?)大学生パロ」ということである。同性愛者である、という自覚のある加蓮と幼馴染の奈緒、同じく同性愛者のみくと「カップル(仮)」な李衣菜。そこを前提としつつ、ややこしくなるのはここからで、奈緒に「妹のようなナニカ」として扱われ続け報われない片思いで苦しむ加蓮と、みくからの好意をどう受け止めるべきか悩み、次のステップに進めないまま2年が経った李衣菜が「出会ってしまう」。相談相手として近づいた二人がそれぞれの相手のために相談していくうちに、それぞれの関係で溜まったフラストレーションが臨界点を迎えたときに事情を知っている「相談相手」が近くに居てしまったところで、やけくそで、衝動的で、代償行為的な「練習」に及んでしまう。
この作品がすごく昏く歪みつつ素晴らしいのは、加蓮も李衣菜も自分の相手を思いながら代償行為としてコトに及んでしまうこと。しかもそれが継続してしまう。加蓮はヘテロだと知っている奈緒との関係が幼馴染の範囲を出ずに自分の思いが報われないとわかっていながら片思いを続ける現状維持の中で、奈緒からの保護者的な束縛で生殺しになっているフラストレーションが溜まっていき、李衣菜は(仮)のママで続いている関係の中で、みくのことを考えてデッドロックにハマり、明確な次のステップである肉体関係に進めずにいる。そのことでdiscommunicationとしてわだかまっているコトに不満を感じているところで加蓮と関係を深めていってしまう。加蓮、李衣菜のどちらも相手が好きなわけではない、というのがぶっ刺さる。
何よりこの作品がいいと思うのは、加蓮の葛藤、李衣菜の葛藤がリアルで、実際的であるということ。当事者からは一番遠い存在である自分が「リアル」を語るのは笑止千万もいいところだけれど、それでもリアルなのである。こういう規範との間での葛藤に良さを見い出す読者の姿勢というのは正直に言うとProblematicである(BLには逸脱していることへの葛藤、悲劇が必要、みたいなやつというか)のは自覚しつつも、こういうところに向き合う作品はあっていいと思うし、自分はこういうのも好きなのだ、と気づいたのがこの方の前作『Cinderella-P@ss』とこれだったのですごく好き。同性愛者の性欲に対する葛藤、私が想像するより遥かに自己の存在に直結しているのだろうし、そんなモノ言いふらされた日には自死すら選びかねない、という重大性はひしひしとつたわってくるわけです。しかしそういう重大性はヘテロの自分には言及されねば見えない問題であるわけで。第五話、第六話のアンビバレントな感情の解像度が本当に素晴らしい。
作中に著者がふっと顔お見せることがあって、そこがどうしようもなく好き。それはP70~73の比奈さんだし、P240~245の志乃さんなんだな。笑えない程に同性愛が認められず、オープンにしにくく、話し合いにくい現実世界、ましてそれが犯罪たりうる国でこういう作品を読んでいるとメインの4人の周りには幸運にも優しい人々がいるし、浮気相手を断罪するときでさえ優しくある奈緒とみくを見るとなんというか、本当に良かった…と思ってしまう。志乃さんの「褒められるために行きてるわけじゃないしね(P249)」は至言だと思う。どこか『小説版 言の葉の庭』の「人間なんて、みんなどこかちょっとずつおかしいんだから」というセリフを思いだす。いい言葉だ。
本当に前作のデレパスのクソ重100%代償行為かれりーな百合とこれでヤバい沼に落ちてしまったので、どうしてくれるんだ責任をとってくれ次回作も買わせていただきますちくせう、という感じ。あと指フェチの加蓮概念良すぎる。神では??????
随分書いてしまったけれど、とても重く、とてもトガッていて、すごくいい作品なのは間違いない。