【ネタバレの宝庫】ピングドラム18話

2011年11月11日、当時Facebook notesにあげてあった怪文書を発掘したのでおいておこう。


ツイッタに書ける分量をこえているからこっちでかくわ。

やばい、ただやばいの一言に尽きる。17話までがここまでの布石だったとしか思えん。やばい。

冒頭からタブキの過去があかされていってゆりと同じような「才能にとりつかれた」母親のもとで指導を受けてきた描写だけでもおおきな新情報なのに更に弟が自分よりも上手いことに気づいて自分のピアニストとしての時間を止めるというシーンは衝撃だ。ピアノの蓋で指を潰すという絵はかなりまえからあるけれどただ過去の回想としてのタブキのこえだけでブラックアウトするのは何も見えないから余計に痛々しかった。これで少し前から放置されていたタブキの指の傷跡の説明が付く。そのあと母親が才能重視の姿勢を変えずにいるのはもう悲しさと言うより虚しさしか無かったように思う。

そこでOPだ。今までも素晴らしい導入だったが今回はアバンタイトルがいつも以上にキャッチーでひきこまれるクオリティだった。あの数分で一体いくつのパズルのピースがはまったのかわからない。それでもまだ本編は始まってないのだ。そして前回異常なまでのsuspenseを残して終わったエレベーターのシーンに戻る。そこでタブキの回想が陽毬と苹果に語られていることを理解するわけだ。やはり彼の目的は苹果の前で高倉家の人間に罰を与えるということだったようだ。苹果を錆び付いたエレベーターに閉じ込め、見ていることしかできない様にした後で冠葉を呼びだす当たりには、復讐にとりつかれた夜叉のような黒い雰囲気を発していた。ここで要求したのが高倉剣山だという当たりもはじめから陽毬をターゲットにしていたとしか思えない。序盤の明るい鳥好きの先生のイメージが未だ有るだけにそのターンオーバーは背筋が寒くなる様な怖さを創りだす。「桃果が僕を生きることを望んだ意味を確認する」という目的もそもそもが破綻しているが、それを誘拐して要求している当たりもそれを助長する。

そのあと10話あたりから放置されていた「こどもブロイラー」の話になる。そのフレーズがタブキの口からでただけで今回はもうこの話の歓喜はいつもよりすごかったぐらいなのだが…。そこで「いらない子ども」という自覚をもってしまうタブキはもう生きる気力をなくす。当然だ。周りの子どもの諦めた様な声も邪教の信者の巣窟に足を踏み入れたかのような混乱と恐ろしさを覚えさせた。そこでなにが来るかと思えば桃果だった。ここで初めてまともにであったであろう彼にたいして、あそこまで献身的に助けようとする桃果はかっこいいヒーローを通り越して救世主(メシア)に見えた。そして桃果の紡ぐ言葉ひとつひとつが非常に優しい心のもとに発せられているということが伝わってきた。タブキの「一番じゃなければ意味が無い」という刷り込みはゆりの父親の刷り込みを重なって見える。幼少期の経験が似通っていたからこそ、どちらも桃果を助けるために共同戦線を張っていたのだろう。豊崎さんのキャラはけいおんの唯と超電磁砲の初春ぐらいしか知らないけれど桃果のほうが数十倍いいキャラと演技だと思う。とちゅう苹果の声と似ていたのはわざとなのだろうが妹と重なって見える。

良い感じになったかと思えば「透明になる」プロセスが始まるわけだ。描写から恐らく「こどもブロイラー」にいる子供たちを正にひき肉にするであろうベルトコンベアと挽肉機の受け皿…。事務的かつ非常に冷酷な係員の口調は寒気すら感じる。諦めて「透明に」なろうとするタブキを、それでも桃果は手を掴んで助けようとする。この彼女にとって絶望的な状況でさえなおだ。正にカンダタの話にもあるような神や救世主に匹敵する存在で合ったのだろう。「私のために生きて」や「そんなの関係ない、あなたの心がを聞いたんだ」というフレーズは常人には言うシチュエーションが見つからないようなフレーズだ。彼には絶望からすくい上げてくれる蜘蛛の糸にみえたに違いない。

ここのこどもブロイラーの施設はこれで目的が示唆されている。「透明な存在」というのは最終的に未だに謎のピンク色のアンプルに終着するのではないだろうか。「誰が誰がわからなくなる」というフレーズはエヴァのLCLを思い出させるし、多くの命の濃縮された物という意味では鋼の錬金術師の賢者の石と似たものがあると思う。それならば死にかけの陽毬の命を別の命の大量投与によって生き長らえさせていたということにも想像が付く。サネトシはほぼ間違いなく子どもブロイラーの運営、おそらくピングループかKIGAに深く関わりがあるのは間違いがない。

このシーンで出てくる鳥かごと鳥(こいつも前期OPに合ったということに気がついた)はタブキの心を露骨に象徴している。サビついたカゴを開けてくれたという描写からもタブキがいかにも桃果の存在に助けられて、さらにそれが彼の心の中で大きかったかということがよくわかる。このあとの草原のシーンで桃果の手の甲が黒焦げになっているのはタブキのピアノのシーンと同じくらい痛々しかった。それでもなお「これでお揃い」といえる桃果はすでに人を超越しているように思う。ここで運命のリフレインが来るわけだ。

ダッシュで駆け上がってきた冠葉が登場するのがここだ。普段と変わらない口調で「父親はどこだ」と聞くタブキは非常に正常に見える狂人だ。見た目で狂っているのが分かる狂人よりよほど恐ろしい。「そう」というドライなリアクションで何のため来もなく爆弾のボタンを押す彼はすでに夜叉だ。陽毬ののったゴンドラのワイヤーを一本づつ爆破するというひどい行為をしている。

「警察を呼びます」という苹果の言葉を拒否した冠葉が何を隠しているのかここで少し明かされる。当然内容は明かされないがタブキが持っている写真と説明から彼は陽毬を助けるための資金提供を高倉剣山率いるテログループから受けていたようだ。これもしばらくヒントも無かった謎だったが、ここでピースがはまった。当然オウム真理教の様に公安やその他の情報機関に監視されているであろうその組織から受けていたことが彼を警察を呼ぶという選択肢をなくしていたのだ。

仕方なく晶馬に掛ける苹果だったが運悪く地下鉄に載っている。そこで何故か出てきたかと思ったら神出鬼没のサネトシが出てくる。カメラをいじりながら話す内容は「時に思いもよらぬ面白いものが撮れることがある」という台詞からも分かるように彼がタブキに写真を提供した可能性を示唆している。また爆発させるタブキ。「桃果を奪われた」ことに対しての償いをして欲しいというのだ。彼女は16年前の事件も止めようとしたのだという。自分だけ残された彼の悲しみと喪失感はこれだけの復讐心を創りだすほど大きかったのだろう。存在理由でもあった彼女が奪われたのだから当然である。

晶馬もようやく留守電に気づき廃ビルに走って向かう。アップ天歩になったBGMと共に陽毬に矛先が向き始める。タブキがが課した罰は冠葉にゴンドラと陽毬を最後のワイヤーを爆破したあと落とさないようにするというものだった。それを何のためらいもなく受け入れる冠葉も自己犠牲の精神という意味では桃果に通じる所がある。硬いワイヤーに手を絡め、血だらけになりながらも陽毬を助けようとする彼には兄弟愛以上のものを感じざるを得ない。

「いやだ、絶対離さねえ」という冠葉の台詞がシチュエーションを変える。タブキが桃果に言われたことを同じことを行ったことで彼の復讐心の炎は急速に消えていく。失った苦しみから初心を忘れてしまった彼はようやくその復讐が間違っていることに気づく。ワイヤーは更にきつく冠葉を傷つけていく。出血しながらも「いいお兄ちゃん」を続ける彼は正に桃果と同じである。ここで血しぶきではなくペンギンマークの入った赤い桜吹雪によって表現されていた血はとてもユニークで美しいと思った。

陽毬はついに「私のためにもう頑張らなくていい」と冠葉に告げる。最期の言葉を残しながらワイヤーを離そうとする陽毬。彼女自身が兄たちの重荷になっていたことをわかっていたのだろう。「これからはかんちゃんは自分のために生きて」という言葉を残してワイヤーを離す。冠葉の慟哭とシンクロして叫びだすのを抑えるのに苦労した。上で何があったかについて何も知らない晶馬が陽毬の落ちていく横を通って行き、土煙が上がる描写も正に陽毬の最期のシーンだった、はずだった。

ここでタブキがなぜか無傷の陽毬を抱えているのである。なぜかもわからないままタブキは苹果を開放し、「自分のようになってはいけない」という言葉を残して降りていく。降りた先に待っているのはゆりと真砂子だった。同じ頃に晶馬は上に到達する。この地上のシーンでこれも謎であったゆりとタブキの関係も明かされることになる。ゆりすら予想していなかったタブキの黒さとゆりを利用し、あまつさえそれだけしかない「偽の家族」だというのである。

ここで桃果の日記が再び登場する。前の描写にあったようにこれを使えば世界の改変がやけどの代償と共に可能になる。先ほどの陽毬がなぜか死ななかったシーンではこの陽毬が死なない事実を誰かが書き加えたという見方ができる。どちらかはわからないが恐らくどちらか、若しくはどちらもが書き加えたのだおう。真砂子は冠葉を助けるため、ゆりはタブキのしたことによってすべてが崩壊しないためという動機づけも可能だが、情報がないため間違っている可能性が高い。

高倉兄妹が抱き合っているところに苹果が来る。晶馬の背中に寄りかかってこういうのである。「悲しい事もつらいことも意味がある。私はそれを全部受け入れてなお高倉兄弟を嫌いには鳴らない。だから…」と言う所で毎回恒例のラストに出るタイトルだ。今回は「だから私のために生きて」である。苹果の言葉に続いた台詞でもあるし、桃果がタブキを救った時のフレーズである。今まで様々なタイトルが合ったが今回のタイトルは8話の「君の恋が嘘でも僕は」に匹敵するクオリティだと思う。いつもながら素晴らしい引き、かつそれへの入りかただった。

その流れでEDに入る。今回は『灰色の水曜日』である。歌詞を聞くと正に復讐にとりつかれたタブキに対しての呼びかけの様に聞こえるという素晴らしいチョイスだった。コミカルなペンギンの動きのバックに「どんな罰を受けたってかまわないさ。僕達はあの日誓ったじゃないか。だから……」という締めで次回予告が終わる。次回も目が離せない。

今回ペンギン達の出番は少なかったが、それでもこの思いプロットの清涼剤として役立っていた。常にエロ本を追いかけている1号は今回冠葉のヒロイックな動きに呼応するかのようにかっこよかった。3号は陽毬を必死に助けようと毛糸でロープを作っていたその姿がとても愛らしかった。序盤の普通の日常のシーンが恋しくなる中彼らがこのアニメを鬱アニメとしないように動き、清涼剤として働くように作られている。

このアニメには様々な形の家族が毎回の様にリフレインされていく。そして「運命」という言葉の周りを正に「輪って」いる、そんなプロットになっている。今まで見た作品の中でもトップクラスの出来の良さ、映像の美しさ、コミカルな要素、主題、そしてパズルのピースがはまっていく感覚。どれをとっても素晴らしい作品だ。出会えたことに感謝したい。そしてスタッフとキャストの皆さんにBravoと言いたくなる作品だ。最終回で何が起こるのかまだわからないあたりが楽しみでもあり、不安でもある。

コメントする