エクストリーム帰寮体験記2023

はじめに

こちらはエクストリーム帰寮Advent Calendar2023の18日目の記事となります。
(めっちゃ遅刻しました許してください)

エクストリーム帰寮とは京都大学が誇る(?)自治寮の一つである熊野寮が開催する熊野寮祭の企画の一つです。熊野寮から目隠しをされて、だいたい申請した距離のどこかに落とされ、地図アプリなどを使わずに、神宮丸太町付近の熊野寮まで歩いて戻ってくる、という企画です。詳細は多分 https://twitter.com/shiranbasho の諸々を参照したらいいと思います。

熊野寮どころか京都にも縁のない東(あずま)のおじさんが、友人にそそのかされて30kmの深夜徘徊企画に参加した記録です。

はじめに断っておきますが、筆者は日常的に東京を徒歩で徘徊しており、10kmは徒歩圏、30kmも毎週末に歩けるぐらいのレベルの逸般人です。加えてアウトドア趣味人のため一応一通りの野外活動スキルを備えており、ギアもフィンランド在住時に揃えた寒冷地ギアが豊富にあります。今回それをフル活用していることを念頭においた上で参考にしてもらえればと思います。

上洛

そもそも東(あずま)の辺境に住んでいるわけですから上洛しないといけません。
そそのかしてきた友人+αで京都旅行を企画し、その一環として熊野寮祭に参加することにしました。

でも京都にのぞみで行っても何も面白くありません。

面白くないので東京ー京都の往復旅程を大回り乗車でやることにしました。
経路は立川ー西国分寺ー武蔵浦和ー大宮ー金沢ー山科ー東京ー西国分寺の6の字大回り乗車です。

かがやきで大宮から金沢までまったり乗車し、金沢では寿司を補給しました。
その後は初めてなのに乗り納めになるであろう金沢発大阪行きのサンダーバードです。敦賀発になったらまた乗りに来ようかなと思います。

京都について、スムーズに190円を払って京都駅で途中下車をキメました。

出発

友人は2200出発、私はなぜか0200割り振りでした。
早く行ってもしょうがねえかと思いながらも2200に到着。

早くに出発はできないとのことだったので、友人を見送り、食堂で四畳半神話大系の上映会を眺めたり、ただひたすらに様々な紙が貼られている非日常な空間に没入することに。四畳半神話大系上映会主催者の人とアニメ談義をしていたらあっという間に時間が立ちました。

幸いにも0時頃に早めの出発募集があったので、アニメ談義に別れを告げ、名残惜しくも出走登録をしたのでした。

タイミングよく40km便の出発直前だったため、それに同乗させてもらうことになりました。
車に乗せられ、目隠しをしたままで同乗者と会話する唯一無二な体験をしながら、時折トンネルのまぶしい照明を感じながら揺られておりました。

まさかこの車内でアムトラック横断旅経験者と同行することになるとは思いませんでした。僕はシベリア横断経験者なのですごい車内でした。

ドロップオフ

0111、山の中に降ろされドライバーと同乗者は去っていきました。ドライバーさんいわく大体28kmとのこと。
川の音、満天の星空、そしてクソ寒い冷気が自分を包みます。

フラッシュライトで照らしながら、熊鈴を鳴らしながらとりあえず川下に進みました。
そうしていると現れたのは標識のステッカーです。

滋賀県に来てしまったようです。地理が全くわかりませんが、とりあえず西に向かえば京都です。またとりあえず川を下れば琵琶湖であろうということで、まずは川を下ってゆきました。途中鹿をビビらせて川に落としながら進むと出てきた看板。

信楽といえば昔の朝ドラで取り上げられていたなと思い出しつつ、だいたい滋賀の南の山の中だったはず、という知識がおぼろげに蘇ります。
幸い川が南北に流れる土地だったため、川沿いに進めばよいのです。このあたりでカシオペア座と北斗七星も見えたため、北に進路を取りました。

しかし地名がわからない。自分が大津市にいることはわかっても標識の地名に全く覚えがないのです。義務教育中学校中退()のディスアドバンテージが発揮されてしまいました。

新名神はなんとか山の中であるという知識があったので川を下る選択肢はゆるぎません。とりあえず北へ。

草津、という地名も目にして、これを進めば東海道である、という確信を得ました。草津の宿に向かえば多分当該道があるだろうと青標識の草津方面にルートを取りました。

延々と北に進みます。暗いし山だし何にもないしで以前実施した八高線金山駅の山越えを思い出します。(あのときは死ぬかと思った、ガードレールが無い!)

該当のない場所でも月明かりが思った以上に明るく、道や諸々の輪郭は見えるぐらいでした。はからずも平安時代の月明かりが「明るい」という表現を実際に体験することとなりました。体験知です。

草津市に入り、住宅街に入ると見えたのはコンビニです。開始2時間でやっと文明に戻ってきました。

ひたすらに国道1号を目指しながら途中でJR東海の線路をこえます。当時は在来線の東海道本線だと思っていましたが、あとでよく考えたら東海道新幹線でした。大垣のこっち側だもんな。

途中の分岐点で京滋バイパスを行くことも考えましたが、自動車専用っぽかったので普通の国道1号に合流することにしました。(後で調べたらこれは英断だったようです)

ただ国道沿いには深夜でも文明を提供してくれる施設がいっぱいあります。吉牛を見たときに本気でしんどさが3割増しになりました。すごく美味しそうだった。

このあたりから苦しみが加速します。支給の食パンを忘れたことを後悔し、手持ちのお茶がキンキンに冷えてしまっていることがしんどい旅路でした。寒冷期の野外行動は体温維持とカロリーが大事ですね。

いつまで経っても大津市が終わらないので大津市にキレ始めました。デカすぎだろ。

進むと川か湖かよくわからない水を渡ることになりました。北側にJR貨物の貨物列車が鉄橋を渡るのを見ながら、瀬田川大橋なるでかい橋を渡りましたが風が冷たくて死ぬかと思いました。
橋を超えて石山という街で国道1号が高架になるのを見て絶望しかけましたが、行き止まりを覚悟で下道を通る選択は正しかったのでした。市街地と都市間交通の分離を意図した高架事業であることを理解したあたりで、京阪を超え再び国道1号を登ります。

膳所駅あたりから東海道線と並走し始めます。JR貨物のコンテナ列車を聞きながら進みましたが、このあたりでカロリーと水分が尽き、やむなく途中のコンビニでカロリーメイトとミルクティーを補給して更に先へ。この時点ですでに5時30分前後。残り13kmといったところですから想定よりも遅いペースです。

しかし東の民である私は忘れていたのです。洛中に入るには山を超えねばならないことに。いや、正確に言うと頭で知ってはいたのです。しかし実感がありませんでした。

徐々に明るくなる空を見ながら、気温2℃で逢坂の峠に差し掛かります。かなりの坂で死ぬかと思いました。山側の壁になにか歌が書かれたプレートが埋まっていますが見るほどの余裕もありません。ひいこら言いながら登っていたら始発の京阪に追い越され、煽られているように思われてイラッとしました。

夜明けを迎えましたがまだ京都府に入りません。大津市追分町から出られないかと思いました。時折ハッシュタグを見ながら進みます。TLでエクストリーム帰寮中の天才のシャニマスPがDaybreak Ageを夜明けとともに聞いていたので自分も聞きながら頑張りました。(シャニマスはいいぞ!)

京都東ICを超え、やっと京都府に足を踏み入れました。しかし困ったことに名神高速の高架がクソでかいせいでルートの取り方が分からなくなりました。仕方なく南側を行ったらあっという間に山の上になり、東海道新幹線の高架まで南下してしまいました。

地形から山にいるのはおかしいなと思い始め、途中で北側に転進します。坂を下るとあっという間に大きな道に合流します。ちょうど最近ホットなクソでか発動機の看板が見えたので国道1号に戻ってきた確信を得ます。(中古車、牛丼、ラーメン、コンビニが延々と続くのが国道のあるべき姿です)

その後北側に転進するのを見越して山科で国道1号をくぐる地下道を通りましたが、そろそろ足も痛みだしています。地下道の階段を悲鳴を上げながら下って上り、更に先を目指しました。

このあたりから気合で前に進むフェーズに入りました。今までの東京での徘徊、大昔のハイキングの経験からここからどこまで伸ばせるかが勝負です。

しかし私はもう一つ忘れていたのです。山科でもう一つ山を超えないと洛中には入れないことに。

ひたすら続く登り坂で狂いそうになりながら東山方面に抜けるべく国道1号を進みます。でかいトンネルを見て行き止まりを覚悟しましたが、そこは京都の良さなのでしょうか、古い隧道(カタカナではなくこちらがふさわしそうな)が現れました。途中来ていたジャケットに汗がしみまくり、スマホが誤動作して寝ている友人に電話をかけたりもしましたが。

それをくぐって、下れば洛中が見えます。

京都タワーは名所としてはしょぼい部類に入ると思うのですが(京都市民の皆さんごめんなさい、でもあれは流石に…)遠くから見えることに価値があるのかもしれません。実際東山五条までの道を下りきったのはあれを見たことで湧いてきた希望があってこそでした。

東山五条に到着して一息ついてから考えました。峠を越えるまでは、頭に入っている京都の地図から絶対に迷わないであろう鴨川沿いを川端通を通るルートを想定していました。しかし京都市内には地図がそこら中にあります。それを見ながらよく考えたら、熊野寮はもう少し山側なことを思い出し山沿いの東大路を北上することにしました。

何度も京都に来ていて見覚えのある東大路四条のクソ狭い歩道と八坂神社を超え、2ヶ月前に早見沙織さんのオーケストラライブで来たロームシアター近辺を通過し、なんとか丸太町通まで到達しました。このあたりで足も限界、眠気も限界です。

丸太町通を左に折れ、アーティスティックなタテカンを横目に8時間ぶりに熊野寮に戻ってきたのでした。

https://twitter.com/walterinsect/status/1730740524230095260

結果と振り返り

とりあえずFitbitいわく65000歩、Google Mapのロケーション履歴曰く33kmぐらい歩いた計算になります。
土地勘のない()よそ者にしては良いんじゃないでしょうか。

一応30kmは思いつきで歩ける程度の距離(この1週間前に平和島からぐるっと新宿まで歩いています)なのですが、山越えとなると時速4kmキープは難しいなという教訓がありました。

草津に向けて1度東に向けて歩いているルートが若干最適ルートから外れていますが、これは手持ちの知識で東海道に近づくことを優先したのでしょうがないですね。

反省点はやはり最後の山越え2つでしょうか。逢坂と山科の峠越えのうち、山科は国道1号沿いではなく、蹴上方面に抜ければ比較的ラクな部類だったかもしれないなと思っています。

ちなみにこのあと宿に転がり込み、風呂に入って気絶したあと夕方から松井酒造さんで日本酒浴びてました。松井酒造さん、おすすめです。日本酒とバチクソ美味いつまみで優勝していきましょう。

https://matsuishuzo.com/

結局遠回りして京都に入り、着いたその日に30km夜間行軍をしたあとに、酒蔵でお酒飲んで、翌日帰るという割りと唯一無二な旅行体験でした。

感想

本当に唯一無二の体験でした。京都は何度か来ていますが、頭を使ってルート選定をしつつ長距離を踏破する移動の仕方では京都の新しい姿を見られたような気がします。

まずは本当に山に囲まれているせいで、京都に入るには坂を越えねばならないこと。30km以上だとラストスパートで逢坂やその他東山の連峰の坂が襲ってくるために結構しんどいということが体験知として理解できました、鉄道が通る前の世界の民は健脚なんだなあと日本史の記述を見るたびに考えるんだろうなと思います。

降ろされた信楽の山は京都ではありませんが、月明かり以外に光源のない中で歩く経験はなかなかなかったため、平安文学の世界を体験することができました。歌でも詠めればよかったのですがなかなかそうも行きません。

もう一つは案外簡単だったということ。天測で方位が特定できて、幸い信楽と草津という知っている地名が出てきたために迷った区間がほぼありませんでした。TLや体験記を見るとかなり迂回やリタイアを見ていたのでかなり装備を揃えたのが功を奏したのかもしれませんし、そもそも日常的に20km30km歩く逸般人のほうが異常なのかもしれません。

ちなみに装備はSavottaの軍用バックパックにに雨具と着替え(靴下)、カロリーメイトと純梅干しタブレット、フラッシュライトとシルバコンパス(緊急用、使用していない)を詰め、全体的にウールを重ね着していたので外気温2℃で8時間行動する装備としては充実のラインだったかもしれません。もっとライトな装備で皆さん行ってるのかも…。

最後は数年ぶりの実感としてメリノウールのベースレイヤーは神だということです。汗が冷えないこと、体温が維持されること、何より止まっても寒くないことが良いのです。装備は人を自由にしてくれます。人類の叡智の結晶は人間の行動範囲を広げてくれるのです。

あとは京都の市内には地図が豊富にあるということ。東山五条から先ルートに迷うかと心配していたのですが地図と記憶の中の熊野寮の座標でなんとかなりました。あと仮に間違えても東京と違って復帰が楽なのが利点だなあと思いました。

最後に熊野寮祭主催の各位、エクストリーム帰寮企画各位、ドライバー各位に改めての感謝を。頭のおかしい企画ですが最高に楽しめました!

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